ことば・辞書:「痛める」
いやはや、何も書かないうちに10日たってしまいました。
ひどいものですね。
何を書いてもいいというのは、かえって書きにくいものだとわかりました。
書くこともあるし、時間もとれないわけではないのですが、何というか、書こうという気力が今ひとつ足りない。
誰も読まないようなところに、誰も読まないようなものを書く。そのことはかまわないのだけれど、自分なりに、書くことの意味が多少はあるものを書きたい、などという気持ちがチラッとでもあると、書けない。
いやはや。
では、何でもいいから書こう、ということで、「痛める」という動詞について。
今、たまたま足の筋肉をちょっと痛めてしまって、ふつうには歩きにくい日が何日か続いたので、この動詞を。
「足(の筋肉)を痛める」とは言うけれど、実際に何がどうなったのか。
他の表現と比べると、たとえば「けがをする」というのは、非常に使える範囲が広いことばです。切り傷でも、骨折でも、肉離れでも、「けがをした」と言える。
しかし、「痛めた」と言うとき、骨折でもいいか。ちょっと、私の語感では言いにくい。
あるいは、足のどこかをちょっと切ってしまったとき、「足を痛めた」と言えるか。これも私には言いにくい。
どうも、「痛める」というのは、筋肉か関節か、つまりははっきり外から見えない部分を「痛くした」場合じゃないか。それも、骨折ほどひどくはなく。
こういう「語感」、あるいは意味を理解・習得するというのは、どういう風に行われるのか。これまで、「(足を)痛める」という表現に数多くであって来た中で、だいたいこんな使い方をすることばらしい、と言うことを無意識に会得してきたのでしょう。
いやいや、なかなか不思議なことです。「痛める」んだから、切り傷でも、骨折でも良さそうなもんだけど。
さっき、「けがをする」はかなり広いと書いたけれども、やけどはどうもケガとは違う感じがします。じゃあ、ケガってなんだ?
打ち身、擦り傷、切り傷、もちろん骨折。肉離れもケガでしょうねえ。
ケガと言いにくいのはやけど。それ以外は? よくわからん。
まあ、こんなことをだらだらと書いていこうと思うのであります。
saburoo